錆びない銀

ゲームを歴史という観点から見たい

【Fate】坂本龍馬について歴史から見てみる

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FGOFate/Grand Order)で「復刻:ぐだぐだ明治維新 ライト版」が来たと思ったら、やっぱり来ましたねぐだぐだ続編!

「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」!!

このイベントから実装サーヴァントの紹介です。

 

えっ、連続で日本幕末の男性サーヴァント紹介するの? と思う方もいるかもしれません。 

 

完全に私の事情なのですが、前回の土方歳三は内容をかなり端折りました。

なので今回は幕末がどういった時代だったのかというポイントに、もう少し焦点を当ててみようと思います。

 

と思ったらすごく長くなった上に、書くのにすごく時間が掛かりました……!

時間に余裕がある方向けです。長いよ。

 

 

以下にはFGOの期間限定イベント「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」及び「コハエースGO 帝都聖杯奇譚」のネタバレがふんだんに盛り込まれています

全てをクリアしているか、もしくは未クリアでもネタバレを踏み抜きたい方のみご覧ください。

 

これから先は期間限定イベント「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」及び「コハエースGO 帝都聖杯奇譚」のネタバレありです。

よろしいですか?

 

 

幕末といえば坂本龍馬

 

 

歴史の教科書から名前が消えるという話になっているそうですが、現時点で相当数の方がご存知であろう坂本龍馬

幕末、土佐の偉人です。

 

「【FGO土方歳三について歴史から見てみる」でも書いた注意書きを、いま一度書きます。

人気が出ると史実にはなかったエピソードや性格が広まって、それが史実のものだと信じられてしまう現象が起こります。

 

創作から広まったものなのか史実なのか、区別して書くように心掛けますが、私もいろいろな本に影響されています。

100%正しいとは断言できないので、それを踏まえてどうぞ。

 

坂本さんも司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」の影響が強いと思います。

個人的な意見ですが、新選組の脚色具合には及ばないかな?

というのも、坂本龍馬は直筆の手紙など人柄を表すエピソードを数多く残しているため、史実から推察できる範囲が広いのです。

 

Fateでの初出は「コハエース

FGOでは☆4のライダーです。イベント配布サーヴァント、嬉しいですね!

参加条件を満たしておらずゲットできなかったというマスターも、ご安心ください。どこかのタイミングで復刻が来ると思います。

 

土方歳三は「コハエース」では沖田総司の宝具として召喚され、出番も短かったのですが、坂本龍馬はがっつりサーヴァントとして出てきます。

活躍もしていますよ。お竜(りょう)さんかっこいい。

 

コハエース」については下の記事へどうぞ。

誘導するのに割と役立っているFateシリーズ紹介記事。

 

 

Fateでの坂本龍馬

 

Fateでの坂本さんは178cm、72kg

史実ではもっと高かったとする説もあり、当時の国内では相当な高身長でした。

お竜さんだけではなく史実でも女性にはモテていたようです。高身長はやはりモテやすいのでしょうか?

 

属性は中立・中庸。史実についてはじっくりと見ていきますが、これはわかる気がします。

同じく中立・中庸のサーヴァントといえば例えばエミヤ。同時代では沖田さんも同じ属性です。

隠し属性は人

 

FGOでのカード構成はQ1、A2、B2。宝具もアーツですし、スキルにアーツアップを持っているので、宝具回しやすい構成ではないでしょうか。

ライダーといえばバスターかクイックの印象が強いので、アーツ系ライダーは珍しい気がします。

 

スキルはお馴染み「カリスマ」、味方全体のアーツアップとスター獲得の「維新の英雄」、もう1つが味方全体のNPを増やし弱体耐性アップする「船中八策」。

この内「船中八策」は、坂本龍馬が提案したとされる国の指針のようなものです。

 

「天駆ける竜が如く」というアーツ単体攻撃宝具を持っています。確率で敵のチャージを減らしてくれます。

 

さて、忘れていたわけではありませんよ!

コハエース」でもFGOでも坂本さんに付き従っている、お竜さんに焦点を当てていきましょう。

 

お竜さんは坂本龍馬の宝具です。

彼女は173cm、57kg属性は混沌・善です。隠し属性はどの媒体でも発表されていません。宝具に隠し属性はないものなのかな?

 

Fateでは方針が違えば軋轢が生じるそうですが、中立と混沌で見事に坂本さんと合っていません。まあ坂本さん中立ですから! 間とりもつの得意ですし。

ちなみに混沌・善はギルガメッシュ源頼光が該当します。

 

史実のお竜さん、楢崎竜とは別の方。

人ではなく、かといって竜でもなく、竜種一歩手前のまつろわぬものとされています。

山に封印されていたそうですが、坂本さんが鉾を抜いて封印を解いてしまいました。

 

史実の坂本龍馬は日本で初めて新婚旅行をしたといわれています。

治療目的で温泉へ行ったのですが、そこから夫婦二人で高千穂峰に天逆鉾を見に行き、引き抜いてみたそうです。

Fateではあまのさかほこではなくて天逆鉾(あまさかほこ)。

 

高千穂と言っていますし、このエピソードが盛り込まれたのでしょう。

 

お竜さんのスキルとして「神性」を保有しています。

竜種ではないといっても神秘を有しており、「コハエース」ではそれが原因で織田信長に敗れてしまいました。

 

国津の大蛇や神という発言もあって、正直お竜さんとんでもないものなのでは?

逆鉾は国造りの鉾です。そんな大層なもので封印されていた存在とは一体……。

 

幕末とはどんな時代か

 

坂本龍馬とお竜さんの史実の姿を見ていく前に。

そもそも幕末とはどういう時代だったのでしょうか。

 

これも前回の引用ですが、大体ペリーの黒船が来航した1853年から始まり、戊辰戦争が終わる1869年まで。あるいは制度が整って西南戦争が終わる1877年ごろというのが一般的でしょうか。

 

地球の気温は暖かい時期と寒い時期を交互に繰り返しながら、大きなトレンドの中で変動しています。ざっくりとした時代ごとの寒暖を言うと、縄文時代は暖かく、弥生時代には寒くなり、平安時代にはまた温暖になり、江戸時代は再び寒くなりました(14世紀から19世紀半ばは「小氷期」と呼ばれます)。

 

江戸時代が「総じて寒かった」という理由 | プレジデントオンラインより引用

 

ペリーが来航するまでの時代を見てみると、江戸時代は冷夏が多く、農業の凶作が続くことも多かったもよう。

ところが凶作を救う社会や政治のシステムが発達しておらず、飢饉も起こっています。

 

貧富の差が拡大し、庶民には不満が溜まっていました。

その結果として一揆や打ちこわしが行われ、社会情勢は不安定気味。

 

江戸を代表する文化としてよく元禄文化化政文化があげられますが、この内化政文化がペリー来航前に流行りました。

ちょっと退廃的というか皮肉が効いているのが特徴。

 

どんな時代だったのかうっすら見えてきた気がしませんか?

少なくとも明るく華やかな感じはしませんね。

 

そんな中、1853年にペリーが来航。

坂本龍馬は現在の暦で1836年1月3日生まれ。土方歳三の1歳年下という年齢です。当時は旧暦で数え年なので、実は同い年という扱い。

没したのは1867年12月10日。満年齢で31歳でした。

 

坂本さんは土佐藩下士、つまり下級武士の家に生まれます。

この坂本家は身分的には下級武士なのですが、豪商の才谷家の分家で、お金には困らない家でした。

才谷家の間取りを展示で見ましたが、お金持ちの家でした。広い!

 

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写真も全て無断転載禁止です。

こちらは高知市坂本龍馬誕生地の石碑。

建物と建物の間に唐突に現れます。加工はしてみたのですが雑多な感じ、隠せてない。

 

手紙などで有名なのが、1番年の近い姉の坂本乙女でしょう。

有名な「今一度日本を洗濯致し候」という手紙も、姉の乙女に向けて書かれたものです。

著作権は切れているので、青空文庫で手紙の数々を読むことができます。リンク貼っておきます。

 

作家別作品リスト:坂本 竜馬

 

理解を難しくしている尊王攘夷という言葉

 

坂本さんを含め維新に邁進した志士を、攘夷志士と呼ぶことがあります。あるいは尊王攘夷派など。

この辺りが幕末という時代の理解をより難しくしている気がします。

 

尊王攘夷とは尊王+攘夷の組み合わせです。

尊王とは平たくいうと朝廷の復権。攘夷を乱暴にいうと外国人を追い払うという意味です。

 

幕府はペリーに恭順し開国を決めます。そして結果的に日本には不利な条約を結びました。

 

幕府に反発し開国を支持しなかったのが尊王攘夷派。

攘夷志士は文字のごとく日本に来た外国人を襲撃しています。

 

ところが、このままの考えで突き進んだわけではないのです。だってまた鎖国をしよう、外国人を排斥しよう、とはならなかったわけですから。

 

転換点は例えば戦争だったり留学だったりします。

1863年に起こったのが薩英戦争、下関戦争です。薩英戦争が薩摩藩とイギリスの戦いで、下関戦争が長州藩とイギリス、フランス、アメリカ、オランダ4国との戦い。

結果として外国の力量を知り、藩をどうすべきか考える機会にもなりました。

 

攘夷とは外国人を襲撃したり鎖国を維持したりする思想だけではなく、国を植民地化させないという意味で外国人を排斥するというものも含みます。

 

外国人を襲撃するような攘夷から、転換点を経て内容が変わってくるのです。

 

また、個人や藩でずっと尊皇攘夷を貫いたわけではなく、考え方を改めたり、藩内で内乱が起こって主流派が変わったりもします。

 

幕末という時代においての個人や藩の立場は、幕府を支持した佐幕派なのか、幕府を打倒しようとした倒幕派なのか、で考えるとシンプルでわかりやすいかも。

 

坂本龍馬はペリー来航時江戸にいた

 

はい!!!

坂本さんに戻ります!! 長くてすみません!!

 

まだ坂本さんの生まれとお姉さんにしか触れていませんね。

もうちょっと育つと坂本さんは江戸へ遊学に行きます。名目は剣術修行で、修行先は北辰一刀流の千葉道場。

 

剣の腕はなかなかだったようです。

北辰一刀流免許皆伝としている創作も多いのですが、これは不明。

 

この北辰一刀流は有名な流派で、玄武館という道場は幕末江戸三大道場と言われています。

なぜ坂本さんは玄武館で修行していないのかというと、下士という身分で玄武館に入れなかったそうです。千葉道場は玄武館の下級武士用道場。

 

ということで坂本さんはいませんが、ほぼ同じ道場である玄武館では、土方歳三の記事で出た清河八郎山南敬助が剣術を学びました。

 

脱線しますが、幕末江戸三大道場の1つである鏡新明智流士学館で、武市半平太岡田以蔵が修行しています。

最後の1つ、神道無念流練兵館では、桂小五郎高杉晋作が修行しました。

 

江戸で遊学というのは、現在でいう東京の大学に入るため上京する、というニュアンスに近いでしょうか。

 

坂本さんが土佐から江戸へ来たのは1853年。

そうです、ペリー来航の年なのです。

 

土佐の下士である坂本さんですが、偶然に偶然が重なって、この大事件のときは江戸にいました。

現在のように情報がすぐ伝達できる時代ではないので、土佐ではなく江戸でより早くこれを知ったというのは、かなり大きいでしょう。

 

ずっと江戸にいられるわけではないので一度土佐に戻りますが、坂本さんはすぐに2度目の江戸遊学を許可されます。

許可というのはもちろん藩が出すもの。

後に志士の間で脱藩が流行しますが、本来というかそのときだって脱藩は大罪です。

 

土佐勤王党坂本龍馬

 

どこぞの副長はバーサーカーになっても薩長を認識していましたが、尊王攘夷において薩長の存在感は大きいです。

薩長土肥という言葉もありますが、まずは薩長。突っ走っていたともいえます。かなり突っ走っていた。

 

ところが土佐では藩の主流派は公武合体派。尊王攘夷派ではありませんでした。

武市半平太1861年尊皇攘夷を掲げる土佐勤王党を起こし、坂本さんも真っ先に加入しています。

以蔵さん解説ではないのでさっと流しますが、この武市半平太岡田以蔵の先生です。

 

土佐勤王党は藩の重鎮だった吉田東洋を暗殺し、影響力を高めました。

しかし時流が変わると武市半平太切腹。以蔵さんが拷問され斬首刑となったのも同じころです。

こうして土佐勤王党自体は終わりを迎えました。

 

では坂本さんは何をしていたかというと、1862年に脱藩しています。

脱藩は大罪ですが、幕末に脱藩者が続出するとそこまで手が回らなかったというのが実情みたい。黙認したケースも多いです。

坂本さんは家督を継ぐ立場ではなかったので、家族にも特にお咎めはなかったもよう。

 

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坂本龍馬が地元でお気に入りだった場所といえば桂浜。

風光明媚で良い場所です。ここから山を登ったところに坂本龍馬記念館が建てられています。

 

脱藩したので、藩内の尊皇攘夷を掲げる土佐勤王党としては、結局働いていません。

最終的に土佐勤王党が終わってしまったことを考えると、坂本さんは脱藩して正解だったのでしょう。

 

海援隊隊長の坂本龍馬

 

脱藩した坂本さんが何をしていたのかあやふやな時期もあるそうですが、この時期彼にとって大きな出会いが2つありました。

1つが勝海舟との出会いです。

 

勝海舟幕臣であり、後に江戸城無血開城させた人物として有名ですね。

この時代に渡米して航海術を学んでいます。

 

坂本龍馬勝海舟に航海術を学びますが、時流により勝海舟は江戸に戻されてしまいます。

残った勝海舟の塾生は薩摩藩に預けられ、これが後の亀山社中へと繋がります。

 

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長崎の亀山社中跡にある亀山社中記念館です。

この辺り結構高い坂になっていて、息を切らせながらお墓の横を登った記憶があります。車やバスを利用した方が良いと思います。

 

もう1つの出会いもこの時期です。

史実の楢崎竜と出会い、坂本さんは彼女と結婚。何しろこんな情勢なもので、坂本さんは寺田屋お登勢にお竜さんを預けます。

 

亀山社中は貿易会社、兼、私設海軍といった感じ。航海術を学ぶ場所であると同時に貿易も行ってます。

正式なものではありませんが、日本初の株式会社と言われたりもしています。それは言い過ぎという意見も。

 

長崎のグラバー商会と貿易を行い、当時第二次長州征伐を控えていた長州藩亀山社中は武器を斡旋。

武器を購入できなかった長州藩にかわって薩摩藩の名義としたため、めちゃくちゃ仲の悪かった薩長の関係が急激に深まります。

この仲介をしていたのが亀山社中坂本龍馬です。

 

この亀山社中は坂本さんを隊長として、正式に土佐藩に属する海援隊という組織になります。

 

わかりにくいのですが、坂本さんは脱藩した後一度許されています。そしてまた脱藩しました。

一度やっちゃうとハードルが下がるのか、脱藩して許された人って再脱藩する人が多いのですよね。

 

そして再び脱藩を許されて海援隊の隊長に収まっています。

海援隊土佐藩の組織ですが、隊員は藩士じゃなくても良かったので、脱藩した浪人や他の藩士も隊員になっています。懐が広い。

 

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長崎へ行ったらグラバー邸へ足を伸ばしてみてください。

広大な観光地で、ちょっと坂本さんの気分も味わえます。

 

薩長同盟と長州征伐

 

亀山社中海援隊となる前にちょっとだけ戻ります。

坂本龍馬の功績の1つといえば1866年の薩長同盟の締結です。

そんなにすごいこと? と疑問に思う方もいるのではないでしょうか。

 

前回こう書きました。

薩摩藩長州藩の勢力を削ぐため会津藩と秘密協定を結んだり、その後長州藩と接近して薩長同盟を結んだりしています。

 

さまざまな立場の思惑が絡んでくるので省略して、一言でまとめると、京都守護をしていた会津藩薩摩藩が協定を結びました。

それによって割りを食ったのは長州藩で、最終的に禁門の変という武力蜂起を起こし、京都から全面的に撤退せざるを得ませんでした。

 

もちろんそれだけには留まらず、幕府軍vs長州藩という長州征伐が起こります。

第一次長州征伐は実権を握っていた薩摩藩西郷隆盛が、わざとあやふやなまま征伐軍を解散。長州とは戦いませんでした。

 

あやふやなまま終わってしまったので、幕府はもう一度戦いを画策します。それが第二次長州征伐です。

長州藩は主流派が切り替わったり内乱を起こしたりしながら、最終的には幕府と戦う準備を整えていきます。

 

当然、戦うには武器が必要です。しかし長州藩は幕府の敵という立場なので、大っぴらに購入できません。

そこで亀山社中薩摩藩名義として武器を流します。長州藩と距離を縮めたい薩摩藩の許可においてです。

 

薩摩藩倒幕派なわけで、幕府が力を持ってしまうのは避けたかったという事情があります。

こうして仲が深まったところで、薩摩藩西郷隆盛長州藩桂小五郎が会談。立会人を坂本龍馬として、薩長同盟が締結されました。

 

坂本さんが仲介したのは、もちろん彼もそれが良いことだと思っていたからです。倒幕派ですからね。

薩長同盟がすごい、その仲介をした坂本さんがすごいというのは、こういった理由からです。

あ、まだ亀山社中海援隊になる前の話です。

 

船中八策大政奉還

 

坂本さんは寺田屋で伏見奉行に襲撃されてしまいます。1866年の寺田屋事件です。

銃で応戦し何とか逃げ延びましたが、坂本さんは手に怪我を負いました。

この治療として九州の温泉へ行ったのが、先述のお竜さんとの新婚旅行です。

 

第二次長州征伐で長州藩を支援しつつ、この辺りで亀山社中海援隊へと移行しました。

長かった亀山社中時代……!

 

次はスキルになっている船中八策について。

これも夢を壊してしまうかもしれないのですが、実際に坂本さんが提案したものなのか、このままの内容なのかは不明です。

 

船中八策には大政奉還の項目が出てきます。

船中というのはまさに船の中、坂本さんが藩の重鎮である後藤象二郎に提案したので、このように呼ばれています。

事実かどうかはわかりませんが。

 

坂本さんは新政府綱領八策というものを書いており、これは後世に残されています。

船中八策を平たくしたような内容のため、船中八策もあながち嘘ではないのかな、と思いますがどうでしょう。

 

坂本さんの関与はともかく、土佐藩は将軍に大政奉還の建白書を提出します。

将軍の徳川慶喜はその後の策もあった上で、1867年に大政奉還

さて次はどうなっていくのか、というところで、坂本さんに終わりが見えてきます。

 

大政奉還がなされたすぐ後のこと。

坂本龍馬は京都の近江屋で暗殺されました。○○屋事件は混ざりやすいですが、近江屋事件ですのでお間違いなく。

 

暗殺したのは誰なのか、いろいろな説があります。

坂本さんは即死に近かったようで、持っていた武器が近江屋事件で使われることはありませんでした。

 

生きていたら土佐藩の一員として明治維新を成し遂げていたのでしょうか、はたまた船に乗って外国と貿易していたのでしょうか。

ドレイクさんにセリフがあるの、良いですよね。FGO坂本龍馬

 

Fateでのお竜さんの最期

 

Fateに登場するお竜さんは史実の方ではないので、ではFate世界ではどうしたのかというと、近江屋事件のときお竜さんは坂本さんの側にはいませんでした。

理由は明らかにされていません。

 

お竜さんは唾液で怪我を治すことができるため、近くにお竜さんがいたら、と思ってしまいます。

彼女本人もそう思ったのか、坂本さんの死後お竜さんは天へ上ることもなく、海の底へいなくなってしまいました。

 

サーヴァントとして坂本龍馬が召喚された後も、彼に付き従っています。

コハエース」では人型から竜へ戻るのは一度だけ、神秘の存在だからか竜としては存在が不確定で、やがて消滅してしまうというお竜さん。人に恋したばかりに。

さすがにFGOでは時間が経てば宝具を打てる設定になっています。

 

FGOにて好きなものに対するセリフで軍鶏(しゃも)鍋が出てきます。

話を遮るお竜さんですが、元々軍鶏鍋は坂本さんの好物。暗殺された夜もこれを食べようとしていました。

お竜さんは嫌いなのでしょうね。思い出したくないのかな。

 

抑止力と不穏なイベントの終わり方

 

引き続きFateの話です。

イベントでも「コハエース」でも出てきました、抑止力という言葉。

 

他のFateシリーズやTYPE-MOON作品を知っていれば、あれのことだな、とわかりますが、FGOだけだといまいち掴みきれないかもしれません。

TYPE-MOON Wikiが詳しいのでリンクを貼っておきます。

 

抑止力 - TYPE-MOON Wiki

 

要は世界がやばいときに派遣されるカウンターで、「コハエース」でもFGOでも、坂本龍馬は抑止力として顕現しました。

グランドサーヴァントもビーストに対するカウンター、抑止力です。

グランドサーヴァントは出てきたばかりの概念なためまだまだ謎。

 

「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」では明智光秀が理想とする織田信長を、大量の霊基を用いて顕現させようとしたことへのカウンターです。

同じくアルターエゴの沖田総司[オルタ]も、抑止力として召喚されています。

 

その後2騎ともカルデアへやって来たため、生まれたばかりの沖田ちゃんはともかく、坂本さんはその理由について考えています。

これめちゃくちゃ怖くないですか……?

 

どうも特異点は抑止力の対象にならないみたいですが、並行世界は対象内なのですよね。

「ぐだぐだ帝都聖杯奇譚」はその様子から1.5部の最中であることがわかりますが、2部に出てくる何かへ抑止力が働いているのでしょうか。

 

クリプター? 神霊のサーヴァント?

あるいは……。

 

FGO本編で坂本龍馬が出てきたら

 

この終わり方、2部に絡んできそうですね。坂本龍馬

坂本さんの登場に期待はしているのですが、怖いです。カルデアの敵へのカウンターなんだよね? そうだよね……??

 

2部を楽しみにしましょう。

続きはいつ来るのでしょうか。あと例の敵がずっとライダークラスなのかが気になります、攻略的な意味で。

 

歴史から見てみるシリーズ、次は女性でいきますよ!

誰にするかはまだ全く決めていません。そろそろFateといえば、なサーヴァントを解説したい気も。

では、錆でした。